ミズボウ

ミズボウの想い

代表取締役 水野 高良

  • 1972年(昭和47年):慶応大学経済学部 卒業
  • 1972年(昭和47年):水新紡織株式会社 入社
    毛糸紡績勤務を経て、毛織物企画営業に従事
  • 1983年(昭和58年):常務取締役 就任
  • 1994年(平成 6年):代表取締役 就任
  • 1999年(平成11年):父親の死去に伴い、徐々に毛織物製造を縮小し、現在に至る
水野 高良

歴史

創業

1908年創業
会社組織にしたのは昭和23年。 私は、1949年(昭和24年)生まれ。

昭和47年に大学を卒業して会社に入ったら、 繊維業界は徐々に衰退が始まる。

いろいろな「始末」を強要された。

現在は、「守りの経営」から「攻めの経営」への転換点と考える。

これからは、次世代の人たちと共にチャレンジし、200年企業を目指している。

これまで

繊維業界は、「手形商売」であり、景気の上向きの時は良かったが換金に時間がかかるのが難点で現金商売を考えて、私の父親が「ボーリング場」や「ゴルフの練習場」を整備していった。

しかし、ブームが去り現在はありません。

今、プールがある所は、昔、「織機」が置いてあった。 しかし、時代とともにだんだん採算性が悪化していったので、 自社での製造をやめ、全て外注にして行った。 当然、織機がなくなった後、工場の中が空いてしまう。

当時、東京オリンピックが終わって世の中を見てみると 「スイミングスクールブーム」が始まりつつあった。 そこで、スイミングプールを整備した。

現在、我が社も含めこの頃できたスイミングスクールの多くは、「建物の老朽化」「燃料の高騰」 「人件費の高騰」そして、少子化で経営が厳しくなる所が多く、これから発展するにはかなりの知恵が必要と感じている。

これからどうなっていくのか

スイミングと学習塾を併設している楽しいコミュニティの場になり、住みよい街としての一施設を目指す。

二代目  水野 高男

二代目 水野 高男

ミズボウ

プールをつくるにいたった経緯

1964年の東京オリンピック以降、スポーツブーム。 底辺を広げようという事で、小さな頃からスイミングをする、 という流れになってきた。

募集をしたら、子供だけで1,300人集まった。 大人の方も多かった。当時は、公営のプールしかなかった というのも影響していたかもしれない。

プールを卒業したお子さんが入る塾を始めた。
スイミングスクールは、大体、小学校で終わるから、中学に上がってからも 同じ場所で塾を、という事で始めた。 スイミングスクールに通うついでに通えるという事で小学生にも広めていった。

人が集まる

場所というのは、人が出入りしないと活性化しない。
一般の人が気軽に出入りしてもらえる様な場所にしていくのが 良い事だと思う。

看板